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2012年10月発行 |
裁判員裁判における量刑評議の在り方について | |||||
司法研修所編(司法研究報告書第63輯第3号) | |||||
書籍コード 24-18 | A5版 300頁 | ||||
裁判員裁判における量刑については,裁判員制度施行以前から各種の研究が行われ(例えば,平成15年度に「量刑に関する国民と裁判官の意識についての研究」という司法研究が行われている。),また,量刑評議の在り方についても,法曹三者の協力の下,全国各地で模擬裁判が実施されて実証的な検討が行われた。そして,裁判員裁判が始まってから早3年余りが経過し,これまで多数の裁判員裁判における量刑判断が積み重ねられてきている。 しかし,そうした中でもなお実感することは,裁判員と裁判官が実質的に協働して量刑判断を行うということは,決して容易なことではない,ということである。 これまで実施された裁判員裁判をみると,裁判員裁判における量刑事情についての主張・立証の在り方,量刑判断の在り方について法曹三者が抱いているイメージは,従来の裁判官だけによる裁判で行われてきたものの域を出ていなかったのではないか,と感じられるときがある。これまで法曹三者は,網羅的・総花的な量刑事情を主張・立証し,そうした量刑事情を前提として,同種先例との比較・対照により量刑判断を行うという手法に慣れ親しんできた。もちろん,公平の観点からは先例は一定程度尊重されるべきであるから,そうした量刑判断の在り方が根本的に間違っていたとはいえず,また,それにより,相対的に安定した量刑がもたらされてきたという面もあるであろう。その反面として,ともすれば,個々の事案における量刑判断のポイント・分岐点がどこかを見極め,その事案に真に相応しい刑を突き詰めようとする姿勢が,いささかなりとも後退する場面もあったのではないかという批判もあった。 1回限り裁判に参加する裁判員は,自分の目の前にある事件がどのような形で行われたのかを見極め,そうした事件に相応しい刑を見いだすという姿勢で,量刑についての意見を述べることになる。そこにこそ,裁判員に量刑を判断してもらう意味がある。しかし,実際の裁判員裁判での量刑事情についての主張・立証,そして量刑評議は,果たして裁判員にそのような量刑判断を行ってもらうことを可能にするようなものになっていたのか,(裁判員裁判における判決書の記載からうかがわれる限りではあるが)疑問を持たざるを得ないケースもあるように思われる。 また,裁判員に量刑についての意見を述べてもらうに当たっては,刑罰の目的や量刑の本質論をきちんと踏まえてもらう必要がある。現在主流となっている刑罰の目的や量刑の本質についての考え方は,これまで先人が積み重ねてきた叡智の結集であり,我が国の刑法も,そうした歴史的な営みの所産である。裁判員裁判であっても,こうした我が国の刑法の成り立ち,拠って立つ理念を抜きにして量刑判断を行うわけにはいかない。量刑の本質は「行為責任」であるということについては異論がないと思われるが,これまで,「行為責任」が意味するところが正確に理解され,これが裁判員に的確に伝えられていたか否かについても自ら振り返って検討していく必要があろう。 法曹三者は,審理・評議の過程を通じて,裁判員が,量刑の本質論に根差した形で,その事件に相応しい量刑意見を述べることができるように努めなければならない。そのためには,まず,法曹三者こそが,我が国の刑法の成り立ちや拠って立つ理念を十分に理解した上で,個別の事案に即してその量刑判断のポイント・分岐点を裁判員に的確に伝えることで,裁判員が量刑についての意見を適切に述べることができるような審理・評議を実践していかなければならない。法曹三者の法律家としての専門性は裁判員裁判においても少しも損なわれるものではなく,むしろ,犯罪や量刑の本質等を非法律家である裁判員と共有することを可能とするような専門性を求められるという意味において,より高度の専門性が必要とされるということになろう。 裁判員裁判では,法曹三者は,これまで慣れ親しみ,暗黙のうちに了解事項とされてきた量刑判断の手法から思い切って発想を転換する必要があり,量刑の本質等についてはより一層理解を深めてそれが裁判員の量刑判断に適切に反映されるようにしていくことが求められる。このような観点から,本研究は,量刑の本質論を踏まえつつ,裁判員と裁判官とが真の意味で協働したといえるような量刑評議を実践するための,いくつかの方策を考えようとするものである。併せて,そうした量刑評議の所産ともいうべき判決書の在り方についても,いくつかの試案を示して考察することを試みた。本研究の過程では,刑罰の目的や量刑の本質等に関わる諸学説の知見から様々な示唆をいただくとともに,全国各地で実施された裁判員裁判の判決書を参考にさせていただき,また,司法研修所の研究会に出席させていただく機会も得て,そこでの意見,議論等からも有益な示唆や情報提供を受け,議論を重ねて検討を続けた。その現段階での結果が,本研究報告である。 本研究報告は,裁判員裁判における量刑判断の在り方や判決書の在り方について「正解」というべきものを示したものではなく,また,量刑に関する学説を網羅的に整理したものでもない。もとより,実際の量刑評議に当たって,マニュアルとして用いられることを意図したものでもない。裁判員裁判で扱われる事件は千差万別であり,全く同じ事件は二つとしてない。量刑評議の方法やその結実である判決書の量刑理由の構成は,個別の事案ごとに,事件の特色・個性に従って柔軟かつ適切な形で実践されるべきものであり,ステレオタイプな考え方に立って量刑評議を行おうとしても,決してうまくいくものではないことは,よく経験されるところである。 大事なことは,目の前の事件に真摯に取り組む裁判員が参加するに相応しい刑事裁判とはどのような姿なのか,裁判員に何をどのように判断してもらうべきなのかを,法曹三者が,個別の事案ごとに常に探求し,そのような刑事裁判を実現するための努力を不断に払っていくことであろう。本研究報告は,あくまで,そうした観点から,個別の事案での量刑評議の在り方,判決書の在り方を考える上での一つの材料を提供しようとするものである。それとともに,裁判員裁判に相応しい量刑評議を実現するためには,それに先立つ公判前整理手続や公判審理が,そうした量刑評議を志向するものになっていなければならないから,そのような公判前整理手続や公判審理を実践するに当たって,法曹三者が同じ目線で,相互に理解し協力するためのヒントも示すことができれば,とも考えている。 併せて,裁判員裁判においては,死刑求刑事件も扱われることになるが,死刑の特殊性等にかんがみ,死刑求刑事件への対応についても検討を行う必要があると考えた。 死刑制度については,人によって考え方にかなりの開きがあると考えられることから,本研究報告では,死刑制度に関する裁判員の問題意識等に対してきちんと説明できるような知識,情報を整理することを試みた。また,死刑求刑事件の量刑判断に当たって,どのような事情があれば無期懲役刑から死刑へという,いわば刑の質的な転換がもたらされるのかは困難な問題ではあるが,裁判員にとって,自分が担当している事件がどれほど重大であるかという評価は,死刑にすべきかどうかが問題となった過去の重大な事件と比較することによって初めて可能になるのではないかと思われる。そこで,本研究報告では,いわゆる永山判決などで指摘されている要素が,具体的な事件でどのように評価されているかということを中心に過去の判決を検討し,死刑求刑事件において,死刑とそれ以外の刑との判断の相違がどこから生じてきたのかについて考察することも試みている。 もとより,先例は絶対的なものではないし,また,判決文だけをベースに検討しているので,実際の各量刑要素の位置づけ,重みを正確に把握できたとは限らない。このような制約の下での分析であることもご理解いただきたい。 なお,研究の成果を多くの方に活用いただくため,本報告書本文は,出来るだけ簡潔な内容とすることを心がけ,末尾に量刑の本質についての理論的考察や若干の参考資料を掲載することとした。 (はしがきより) 平成21年度司法研究
協力研究員 慶應義塾大学大学院教授 井田 良
研究員 金沢地方裁判所所長判事 大島隆明 (委嘱時 横浜地方裁判所判事) 札幌地方裁判所判事 園原敏彦 (委嘱時 東京地方裁判所判事) 広島高等裁判所判事 辛島 明 (委嘱時 大阪地方裁判所判事) |
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